「モンテッソーリって英才教育なんだよね。」
私が勉強をし始めたときに日本で何人かから言われた言葉です。
モンテッソーリは将棋の藤井聡太さんが育てられた環境ということで日本で初めて知った方も多いのではないかと思います。
他にもマイクロソフトのビル・ゲイツだったり、グーグルのラリーペイジだったり、アマゾンのジェフ・ベゾスだったり、オバマ大統領だったりと著名人がモンテッソーリ教育を受けていたということで、モンテッソーリは天才を生み出すための教育だと思ってる方も多いのではないかと思います。
じゃあ、モンテッソーリって優秀な人材を育てるための、英才教育なのか?
結論から言うと、
モンテッソーリは英才教育ではないです。
少なくとも、私の読んだ本・資料・ウェブサイトや、実際にモンテッソーリを実践している人に聞いた話によると、英才教育の特徴はみられませんでした。
では、そもそも英才教育ってなに?
そしてモンテッソーリはなぜ英才教育ではないの?
今回はそのあたりについて書いてみます。
英才教育とは
そもそも英才教育って、なんか定義が曖昧ですよね?
私も
「なんだか親が一生懸命幼い子にフラッシュカードを見せたり、英語塾に通わせたり、お値段の高い右脳開発教材を買ったりする」
みたいなのが英才教育のイメージでした。
私自身、モンテッソーリに興味をもったきっかけは英才教育とはまったく関係ないところからだったので、正直「英才教育なんだよね」と言われて「ん?」となりました。
じゃあ、英才教育の定義って何なんでしょう?
いくつかの資料を読むと、英才教育は本来数学、言語、音楽、美術、スポーツなどさまざまな分野で特別な才能を発揮した子供を伸ばすための教育、と言われています。
つまり、本来英才教育は子供に特別な才能があるとわかってから、その分野の特別講師をつけたりして才能をさらに伸ばすために行うものなのです。
では、いま私を含め多くの人が描く英才教育のイメージってどっから来たの?
ここからはあくまで私の想像ですが、我が子に精一杯良い教育を受けさせてあげたいという親の純粋な願望を、塾、教材、教育のいわゆるマーケティングをする人たちが
「これをやれば才能が開花する」
とか
「この教育法をやれば賢い子になる」
といううたい文句で誘ったのがきっかけだったのではないでしょうか。
テレビ通販の売り文句のように、
「実際に我が子を天才に育てた人たちの声」
とか
「この教材を使ってすごい才能を発揮した子供たち」
のように、あたかもその教材・塾ですべてが変わったかのように宣伝すれば・・・
そりゃ、つられて買う人も出てくるわけです。特に晩婚・少子化の日本では親に経済力がある場合も多いですからね。
最近では、例えば東大というブランディングが強いので、
「東大に子供3人入れたママの教育法」とか、
「最強教育法と最新教材で東大を目指す方法」とか、
「東大出身ママが実践する魔法の教え方」とか。
なんか、試したくなりますよね(笑)
今では教育分野の長期期間の研究で、一つの教え方で万人が才能を開花させたり天才になるものなどない、という結果が出ていますが、そこは少しでも可能性があるのなら・・・と試してみたくなるのは、親心ってヤツですね。
今ではいわゆる「先取学習」みたいなのも英才教育とされてます。
モンテッソーリが英才教育と勘違いされるのはなぜ?
ではなぜ、モンテッソーリを英才教育と勘違いする人が出てくるのでしょうか?
モンテッソーリ教育を受けてる人の中には優秀な人がたくさんいます。でもそれは、
普通の教育を受けてる人の中に優秀な人がたくさんいるのと一緒です。
私が思うに、モンテッソーリを広めたい! という人・団体は一定数いて(私もその中の一人かもしれませんが)、その人たちが紹介する「モンテッソーリのやり方でこんなことができるようになりました」というのの中に、5歳でかけ算・割り算を学んでいる子がいたり、4歳でひらがな・カタカナの読み書きが完全にできる子がいたり、漢字を学んでいる子がいたりするからだと思います。
そういうのを見たら「ああ、モンテッソーリをやればうちの子もこんなことができるようになるのね」と思ってしまっても不思議ではありませんね。
モンテッソーリと英才教育のちがい
私が思うモンテッソーリと他の主な英才教育との違いは大きく分けて「教科選び」「教材」「主導権」「教育者との関係性」の4つだと思います。
その1:教科選び
まずは教科選び。
本来の英才教育は子供が才能を示した分野を親が伸ばす、というものだったみたいですが、最近の英才教育は、例えば「右脳教育をしたいから右脳発達教材を買った」とか「英語を身につけてほしいから英語の塾に通わせてる」とか、教科をあらかじめ選んで子供に教えているような気がします。
モンテッソーリは子供が学びたい教科を自ら選びとって学び始める、というのが基本ですね。
その2:教材
次に教材ですが、私のイメージする英才教育の教材は伝統的な教育教材に近い物が多いと思います。ワークブック、プリント、練習帳、フラッシュカードなど。
モンテッソーリに本やカードが全くないわけではないですが、モンテッソーリの教材は
なるべく自然の素材(木、砂、石、貝、金属、陶器、磁器、等)を取り入れたもので、
なるべくHands-Onな(自分で手に取って体験して学べる)教材が多いように思います。
その3:主導権
3つ目の違いは、「学ぶ」という行為の主導権が誰にあるかということです。
伝統的な教育や英才教育は先生主導。
先生の言う事を聞く、先生から教わる、先生に従う、のように。
モンテッソーリの教育の主導権は学ぶ人、つまり子供にあります。
子供の興味をそそるような教材を用意しますが、「今から30分は数の勉強をするよ」みたいな強制はしないんですね。
その4:教育者との関係
その3に関連しますが、モンテッソーリの大きな特徴の一つは、教育者(親や先生)と子供との関係が従来の教育と異なるところです。
伝統的な教育や英才教育が主に教育者(先生)が主体、つまり先生とははっきりした上下関係や教える・教わるの関係があるのに対して、モンテッソーリでは先生という存在は環境と学ぶ人(子供)の仲介役としてあります。
子供が環境(教材)から学ぶお手伝いをするのが先生の役割なのですね。
最後に
以上、モンテッソーリは英才教育じゃないんじゃないか、という視点から書きました。
とはいえ、別に英才教育をダメと思ってるわけではないし、否定するつもりもないです。
ただ、モンテッソーリを英才教育目的で始めたの? と言われると「そうじゃないんだけどなぁ」となります😅