共同注視(きょうどう ちゅうし)という言葉、聞いたことあるでしょうか?
共同注意、と言われることもあります。
最近、娘がこれをすることに気が付くことが多くなってきたので、今回は共同注視について書いてみます。
1.共同注視とは?
共同注視とは、簡単に言うと同じものを二人で(またはそれ以上の人数で)見ていることです。
共同(一緒に)注視(見る)ということです。
英語では、Joint Attentionといいます。
見る対象は何でもいいのです。おもちゃでも、本でも、テレビでも、ドアでも、窓でも。
大事なのは、どちらの人間も、もう一方の人が同じものを見ていること、「一緒に」見ているんだということを知っていることです。
この共同注視、実は赤ちゃん・子供の心の発達にとって、とっても大事な要素です。
2.共同注視と子供の発達
じゃあどうして、共同注視は心の発達にとって大事なのでしょうか?
それは、共同注視が実に人間らしい心の機能である
「他者とのコミュニケーション」
「社会性」
「共感」
「(感情や経験の)共有」
が発達する初期の段階だからです。
赤ちゃんは生まれた瞬間からたくさんのことを吸収して学んでいきます。身の回りにあるもの、人、環境・・・。
その中で、「自分と他人」という関係や、「自分と物」という関係性を学んでいくわけです。
例を出すと、
自分が泣いたら来てくれる親との関係
親が笑いかけてくれて自分も笑い返す関係
自分が触ると柔らかな「もの」(ぬいぐるみ)との関係
自分が押すとコロコロ転がる「もの」(ボール)との関係
自分と親が関連していく中で、自分が何かすると親が返してくれること、親が何かすると自分もそれを返すこと、つまり「コミュニケーション」を学びます。
これらを関係性を理解した赤ちゃん。
ここから関係は少し複雑になってきます。
なぜなら、自分以外で「親と物との関係」があったり、「親と他の人との関係」があったりすることも学び始めるからです。
ここで、大好きなお父さんやお母さんが自分以外の何を見てるんだろう? 何を使ってるんだろう? 誰と話してるんだろう? ということに興味がでてきます。
それで、親が見ているものを「一緒に」見るわけです。
図にすると、こんな感じでしょうか。
これがどうして「他者とのコミュニケーション」「社会性」「共感」「(感情や経験の)共有」につながるのでしょうか?
それは一緒に見る物について話したり、一緒に反応したり(例えば鳴る音にびっくりしたり)、次に見る物を決めたりすることで同じ感情を共有(共感)し、同じ時間や経験を共有することになるからです。
上の図を例にとると、
親:「ぞうさん。大きいね。ぞうさんは鼻が長いんだね。あ、タイヤが付いてる。カラカラ動くんだね。こうやって動かすんだね。わぁ、楽しいね!」
こうやって親と一緒に物を見ることによって赤ちゃんは親とおもちゃの関係を疑似体験して、自分も触ってみたい、という好奇心がわくでしょう。
鼻を触ったり、タイヤを動かしたりして「ぞうのおもちゃ」という体験を親と共有するわけです。
また、自分が楽しいと思うことを他人も楽しいと思っている、ということを繰り返し経験することで、共感の基礎になっていきます。
「ぞうさん」「大きい」「タイヤ」などの言葉も吸収するし、触りごこちや音などの感覚刺激を通してもおもちゃというもの、またその時「親と遊んだ」という体験そのものも子供の中に残っていくのです。
そうやって楽しい記憶が残された赤ちゃんは、言葉が出る前は「ぞうのおもちゃ」を指さしたり、親のところへ持って行って「一緒に遊びたい」と働きかけるかもしれません。
これが更なるコミュニケーションの発達につながります。
発達が進んで言葉が出るようになると、「ぞうさん」や「タイヤ」など言えるようになるかもしれません。今度は言葉を使った親とのコミュニケーションを楽しめるようになるのです。
ここまで、ながーーい説明でした😅
共同注視は心の発達にとって大事だということ、少しは解説できたでしょうか。
3.発達障害と共同注視の関係
さてさて。
「自閉症スペクトラム(Autism Spectrum Disorder = ASDと略します)」
は、実は共同注視と深い関係があります。
私がASDの子供たち(や大人たち)の療育にあたるようになってから15年以上経ちますが、ASDの特徴に
「他者とのコミュニケーションが苦手」
「他人の意図、意思を理解するのが苦手」
「他人に共感することが苦手」
などがあります。
今までASDに関する色んな研究がなされてきましたが、ASDと診断された人の中で、小さい頃に共同注視が自然に発達しない人が多い、ということがわかってきました。(全員ではありません)
共同注視が自然に育たないため、その後に更に複雑になるコミュニケーション・人間関係・社会性の発達などにつまづきが生じるのではないか、と考えられます。
共同注視ができないのはどういう状態かというと
たとえば、
- 一緒に絵本を読もうとしても、違う方ばかり見てしまう
- おもちゃで遊んでいるとき、おもちゃにだけ集中している(親を見ない)
- 視線が合わない
などがあげられます。
ここで大事なのは「適切な発達段階で自然に育ちにくい」というだけであって、ASDの子供たちの中にはあとから自然に共同注視が育つ子もいるし、自然に育たなくても療育を通して育つ子もいます。また、共同注視ができないだけでASDの診断がつくこともないですし、ASDの症状は共同注視の欠如だけではありません。
ただ一つの目安として、共同注視は社会性の発達の大事な通過点になります。
もしお子さんの発達が気になる場合、専門機関に相談されることをおすすめします。
4.共同注視をしない! 心配すべき?
共同注視は早い子で8か月くらい、遅くても18か月くらいまでに発達すると言われています。
日本では1歳半健診に共同注視の検査項目が含まれているようです。
共同注視に限らず他の分野でも発達の早い遅いは子供によってさまざまです。
たとえば、1歳になってもできないからといって必ずしも心配しなければいけないわけではありません。
ただ、上記したように、お子さんの発達に関して特別に心配なことがある場合、かかりつけの小児科の先生に相談したり、健診の際に聞いてみるのがいいかと思います。
とくに、ASDは早期療育、早期介入が大切であることがわかっています。
「様子をみましょう」と何か月も言われ続けて明確な答えをもらえない場合、セカンドオピニオンをもらいに行く方法もあります。
5.共同注視を育てるのに親ができることは?
発達は子供によって早い遅いがあるとはいえ、親にできることは何もないのか?
というと、そんなことはありません。
共同注視を育てるためには、子供が好きなおもちゃ・本などを使ってお子さんとたくさん楽しく遊ぶことが一番です。
その中で
- 子供が「楽しい」と反応することを繰り返す
- 子供が好きな音・声を出す
- 子供が興味をもって手にしているおもちゃや本について話しかける
- 沢山のパーツがあるおもちゃを一つずつあげる(人からもらうことに慣れさせる)
- 子供の視線の先に自分がいるように、自分の位置を直す
などを意識することによって、子供は「他の人と遊ぶ楽しさ」を学んでいきます。
以上、共同注視について書きました。