臨床の現場にいるとお母さんと接する機会も多いのですが、自分のことをいい母親だと思えない ー 子供に対していつも罪悪感を感じている方が実に多いです。
私も母親になって初めてそれを感じる機会がありました。
今回は2回シリーズで同じテーマを書きます。
前編の今回は臨床と実体験を含めて、母親がどうして「自分はいいママじゃない」と感じてしまうのか。
次回の後編はその感情とどう向き合って、対処していけばいいのかを見ていきます。
はじめに
今回は対象を母親としました。
だからといって罪悪感を抱えている父親はいないというわけではないです。
ただ、今回のテーマは父親よりも母親に当てはまることが多いという特徴があるため、ママたちに焦点を当てたいと思います。
ママが感じる罪悪感とは?
「自分はいい母親じゃないんじゃないか」
「もっと~するべきだったんじゃないか」
「この子は私がママで幸せなんだろうか」
「私の育て方・接し方はどこかが間違っているんじゃないか」
「周りのママたちがみんな自分より優秀に思える」
こんなことを感じたことはないでしょうか?
普段の何気ない日常の中でふとやってくる、心にズキンと感じる罪悪感。
もしくは疲れがピークの時に溺れるように感じる、正常な心を押し流すかのような強烈な罪悪感。
自分の母親のしての自信・家族の中の役割・子供への愛を、時には足元からグラグラ揺らすような、焦燥感と無力感が混ざったような何とも言えないような気持ち。
英語ではMom GuiltとかMommy's Guiltといって、母親特有の現象として研究がなされています。
母親という生き物であれば一度は感じたことがあるだろうこの罪悪感。
日本では話題になることは少ないように思います。
ある研究によると、母親の90%が子育て中になんらかの罪悪感を感じたことがあるそうです。
この罪悪感は子供が産まれる前 - 妊娠した時から感じる人もいます。
自分が子供を持って良かったんだろうか。
自分に本当に子供が育てられるのだろうか。
自分に親としての責任が取れるのだろうか。
子供を最後までちゃんと守り抜くことができるのだろうか。
こんな「疑問」から始まり、それがやがて「子供を作らないほうが良かったんじゃないだろうか」と変わっていくこともあります。
興味深いのは、この罪悪感は社会的地位・経済的豊かさ・家族形態・住んでいる場所・人種などを超えてどんな母親にも起こり得るというところです。
自分の罪悪感の体験
実体験を少し交えます。
細かく言えば罪悪感を頻繁に感じてはいるのですが、私がこの罪悪感を大きく感じたタイミングは今までで全部で5回ほどありました。
一度目は妊娠中。
私は妊娠中期で前置胎盤、そのあとに癒着胎盤と診断されました。
胎盤が上手く形成されず、子宮口を覆うようにして育ってしまいました。妊娠後期になってからどうにか胎盤が子宮口にかからなくなるくらいになりましたが、そのあと子宮の壁に胎盤の一部がくっついていることが判明。
最悪、出産時に胎盤が上手くはがれず、大量出血をして母体死亡にもなり得るとまで言われていました。
結果的には癒着の度合いが少なく、出血は多かったものの命にかかわることはなかったのですが、そうなった原因が「高齢出産」「子宮筋腫の手術歴」と言われましたから、自分を責めるしかなかったんですね。
まだ生まれていない我が子に何度となく謝っていました。
二度目は出産直後。
おっぱいが直接上手く吸えなかった娘でした。
助産師さんやLC(アメリカで資格を持つラクテーション・コンサルタントという専門家)に相談しながら試行錯誤する中で、「授乳姿勢が悪いから直して」「吸い付かせ方の問題」「もっとマッサージしなさい」「乳首の形が悪いから吸いにくいのよ」「もっと根気よく練習しなさい」「夜間授乳の時も練習しなさい」「哺乳瓶であげちゃダメ」など色々なアドバイスをもらい、混乱し、寝不足でフラフラになりながらも頑張ったのですがやっぱり上手く飲ませることはできず。
他の母親ができていることを私はできなかった、とか、自分のせいで娘に上手く飲ませてあげられなかった、という思いで泣いていました。
この時の罪悪感が今までで一番大きかったと思います。
三度目は娘が2か月の時の引っ越し。
前にも書いたようにカリフォルニアから日本、日本からハワイと娘が4か月までの間に2度も国をまたいだ引っ越しをしました。
時差もあり、気候の差もあり、引っ越しに伴う色々なストレスとやることの多さもあり・・。
娘になかなかきめ細やかなケアをしてあげることができず、いつもどこかで罪悪感を感じていました。
四度目は仕事復帰。
娘が4か月の時に仕事復帰したのですが、長く家を空けたりするときに娘がずっと泣いていたり、娘が夜眠ってから帰って来たり、娘の成長を見られない時も多くて復帰して良かったのかと悩みました。
仕事が今までのように大切に感じられず、娘より仕事を選んでるような気がして、仕事を時短にするか、または思い切ってやめようかな、と思った時もありました。
最後は離乳食。
娘には乳製品、卵、苺のアレルギーがあるのですが、これらが判明して一番最初に思ったのは「自分がミルクをあげず、ずっと母乳で育ててしまったから乳製品アレルギーになってしまったのか」「卵をあげるのが早すぎたのか・遅すぎたのか」「妊娠中や授乳中に自分が食べたもののせいなのか」など。
やっぱり自分を一番初めに疑って、責めていますね。
これを読んでくださっている方でも色んな場面で罪悪感を抱いたり、自分のせいで子供に何らかの悪い影響を与えてしまったと思っている方も多いと思います。
ではどうして母親は、こんな風に罪悪感を簡単に抱いてしまうのでしょうか?
罪悪感を感じる理由
1.理想と現実のギャップ
人は誰しも心の中に理想の母親像があると言われています。
ほとんどの子どもにとって、母親はこの世で一番身近で大切な人です。
母親の理想像というと「優しい」「自分のことをわかってくれる」「自分の欲求を満たしてくれる」「いつも側にいてくれる」「身の回りの世話をしてくれる」
など、一見まともなように見えますが、たとえ愛する我が子であっても1日24時間、週7日間、1年365日これをずっと満たし続けられるでしょうか?
もちろん、答えはノーだし、それはみんなわかっていることです。
でも・・。
私たち母親がそれを満たしていない時間、例えば必要以上に家事に時間をかけたり、仕事に行ったり、自分の買い物に出かけたり、本を読んだり、ゲームをしたり、必要最低限以上の睡眠をとったり。
それらのことをするのに罪悪感が芽生えます。
子供が産まれる前は当たり前にやっていたことをするのが「子供と過ごしていない、母親のわがままな時間」になってしまうのです。
それだけでなく、母親自身も自分の育てられた経緯を振りかえったり周りの母親たちを見ながら、自分の中で
「こういう母親でありたい」
「こういうケアをしてあげたい」
「こういう育て方をしたい」
という理想を描きます。
でも実際子育てをしてみると、上手く行かないことばかり。
自分の中の理想の母親像と、今の自分とのギャップに隔たりを感じて、それが罪悪感に結び付くケースも多いように思います。
2.完璧な母親像と過剰な母親叩き
日本だけのことではないのですが、母親という存在は非難の対象になりやすいですね。
「母親になったんだから、自分のすべてを投げうって、子供の世話をするのは当たり前」
という自己犠牲の精神を強要するような考えを持っている人が社会には一定数いるようです。
少しでも育児の大変さを打ち明けると、
「じゃあ何で子供を産んだの?」
と、まるで育児のすべてを聖母のように微笑みながらこなせないのなら子供を産む資格がない、みたいなメッセージを受けることもあります。
母親は常に完璧にすべてをこなす人でなくてはならない、という「完璧な母親像」の偏見があるのかもしれません。
子供の事件があると母親の行動を責めたり叩いたりする人が多いのも確かです。父親よりも何故か母親が批判の標的になることが多いですね。
その他にも、
「母乳育児でない」
「寒い恰好をさせている」
「(母親が)スマホをみている」
「子供に長時間テレビを見せている」
「子供に厳しすぎる」
「子供を放任しすぎる」
「食べ物を手作りしていない」
などなどなど・・・。
批判の対象はリストにできないくらい多岐にわたります。
3.メディアの影響
上記の完璧な母親像はメディアによって作られた部分もあります。
そして私たち母親は、映画、ドラマ、テレビなどメディアの中の母親像を知らず知らずのうちに内面化(自分の中に取り込むこと)してしまっているのかもしれません。
本当は失敗したり、迷ったり、迂回したりが多い育児もメディア上で見せ方によってはキレイな面だけを映していられます。それが人によってはいつの間にか普通の母親像になってしまっているのでしょうか。
またよく言われるように、SNSの影響もあるかもしれません。SNSで誰かの美しい幼児食やおべんとうの画像、煌びやかなスタジオ写真撮影の様子、可愛い子供服を着せた写真、パーティの様子などを見るたびに「私は自分の子にこんなにしてあげられていない」とどこかで自分と比較して落ち込んだりしたことのある人も多いでしょう。
本当は良い部分だけを切り取って加工してプレゼンしているかもしれないSNS上のことを、いつのまにか「常にこういう生活をしているんだ」と勘違いしてしまうのかもしれないですね。
また、下記の「子供の成長のスピードの違い」がSNSで浮き彫りになったりするので、自分の子が人よりもゆっくりなペースでの成長をしている場合、心配になったり焦ったりする気持ちも生まれます。
4.カテゴライズされる母親たち
母親を叩くのは何も育児経験のない男性だけではありません。
時には同じ母親に批判されることも。
母親はなぜか色々にカテゴライズされることが多いです。
私が聞いたことのあるものだけでも、
自然妊娠 vs. 不妊治療を経ての妊娠
自然分娩 vs. 帝王切開
母乳 vs. ミルク
専業主婦 vs. ワーママ
保育園 vs. 幼稚園
など。
眩暈がするくらい、細かくカテゴライズされています。
本来は上も下も良いも悪いもないようなカテゴリー分けですが、時たま自分の属していない方のグループを批判するような、マウンティング発言をする人がいるのも確かですね。
あとは上記のようにメディアがまるで抗争があるように見せかける記事を書いて読者を煽り、読者数を増やそうとしている面もあります。
本来みんな子育てを必死に頑張っている同志の母親たちが、これらの影響で批判し合い、孤独感を深めているのです。
5.他人の親切な(?)アドバイス
上記の実体験で書いたようにおっぱいの問題で悩んでいた時もそうだったのですが、子育てで悩むとプロ・アマ問わず色々な人から次々にアドバイスをもらいます。
ほとんどのアドバイスは善意から来ていて、くれる人は自分を助けたいという気持ちで言ってくれるのですが、正解がないのが子育て。
アドバイス通りにやって上手くいくときもあれば行かない時もありますよね。
アドバイス通りにやって上手くいかなかったりすると、「あの人は上手く行ったのに私は上手くいかせられなかった」と罪悪感につながる場合は多いと思います。
人によっては、困っているわけではないのにすすんで育児アドバイスをくれる人も多いです。母親が求めている求めていないに関わらず自分の子育て論を展開してくる人はたくさんいて、それが母親自身の母だったり義母だったり、あるいはまったくの他人の場合もありますね。
その場合、その人たちとの関係を保ちたくてアドバイスを無下にはできないし、かといってすべて鵜呑みにしてやっていたら疲弊してしまいます。
または、全くの的外れなアドバイスに疲れてしまうこともあると思います。
私が今まで受けた的外れなアドバイスの一つはハワイで買い物中、突然にじり寄って来たおばあさんに「赤ちゃんはお風呂の時以外、帽子と靴下は必ず履かせなきゃダメ」と言われたことです。
でも常夏のハワイで、外は28℃。娘もカーシートに入っているだけで汗をかいていたので靴下を履かせていたら熱が逃げずに大変だったと思います。
6.子供の成長の速さと気質の違い
子供は色んな速度で成長します。
早い子もいれば遅い子もいるし、運動では早いが言葉が遅いとか、情緒の発達は早いが体が小さいなど、色んな面での成長がデコボコに起こってくるものです。
いずれはどの面も成長するものだったとしても
早い = 高い能力である
という誤解もまだまだ蔓延しています。
例えば自分の子が1歳8か月まで言葉が出なかった場合、ほとんどの母親は
「どうして言葉が出ないんだろう。自分の関わり方が悪いのだろうか」
と自分を責め始めることが多いように思います。
成長のスピードだけでなく、気質・特徴も子供によって大きなばらつきがあります。
良く寝る子、寝ない子、よく食べる子、食べない子、声が大きい子、小さい子、活発な子、大人しい子、など・・。
これらの違いを本来は「その子の個性」として受け止めて、その子個人の成長のペースや気質を見守ってあげるのが良いようにも思えますが、やはりその部分も比較して良い悪いを付けたり、例えば寝るのが苦手な子のお母さんは「自分の寝かせ方が悪いのだろうか」と困ったり焦ったりしてしまうものですね。
7.達成感の感じにくさ、感謝のされにくさ
子育てをしている中で、達成感を感じるのは難しいように思います。誕生日や何かができた記念日など、喜びと達成を感じる日もありますが、それは毎日毎日育児と家事をこなしている中でほんの一瞬訪れ、すぐに去ってまたいつもの日常が始まるものです。
朝起きてから授乳、着替え、洗顔、おむつ替え、朝食の準備、朝食を食べさせ、後片付け、自分の準備、掃除、洗濯、昼食の準備・・・など延々と続く中で気が付いたら夜になっていた、ということが普通です。
誰も一日の働きを数値化してくれないし、評価してくれないし、始まりがどこで終わりがどこなのかもわからないまま延々と続くサイクルを毎日繰り返していくのが母親の日常です。
達成感とは、区切りがあるタスクや目標を達成したとき、または客観的に見て人に認められた時に感じるものであって、時には休憩もまともに取れない中で常に頑張り続けているような状況では感じ辛いのです。
また、母親というのは労働の拘束時間と仕事内容のキツさの割に、感謝されることの少ない存在だと思います。小さな子供はありがとうなんて言ってくれないですしね。
夫が感謝を伝えてくれ、苦労をねぎらってくれる人だったらラッキーですが、そうでない場合も多いです。ちゃんと感謝を言われるのは母の日だけ、またはそれすらない、という人もいるんじゃないでしょうか。
社会の中においても、母親の仕事というのは認められ辛く、完璧にこなして当たり前だと思われ、赤の他人に批判されることはあっても「子供を頑張って育てていて偉いですね」と褒められることはほとんどないですよね。
確かに、達成感を感じたくてや、誰かに感謝されたくて母親になったわけではありません。
でも母親の努力が無視され続けている中で自分のことを良い母親だ、と感じられる機会はとても少ないのです。
8.サポートの少なさ
今までの要素に加えて、母親の罪悪感を押し上げ加速させている要因が手助け・サポートの少なさです。
母親向けの悩みを打ち明け、話を聞いてもらい、一緒に解決策を見つけ、自分の決断を後押ししてもらう場のようなものは少ないし、あったとしても日々の忙しさで参加するのは難しい状況があります。
私はたまたま夫が家にいて育児の半分を担ってくれたり、同時期に出産した家族がいたり、母親になる前からツイッターをやっていて同じような時期に出産した方たちとやりとりできたりしたのでサポートという意味では十分ありました。
でもお母さんの中には夫に育児に参加してもらえず、周りの人にも頼れず、悩みながら一人で懸命に頑張っている方がたくさんいると思います。
ストレスと疲労を抱えながらも子育てを必死にこなしている母親が、自分のやり方に疑問をもったり、やり方が間違っていると思ってしまうのは自然な流れだと思います。
母親の罪悪感の根底にはこうした孤独・孤立があるのです。
ここまで母親が罪悪感を感じる背景と理由をみてきました。
これだけの理由があるのだから、母親が罪悪感を感じてしまうのはその人自身の弱さや性格の問題とは考えにくいですよね。
ではママたちは罪悪感を抱えたまま生きていくしかないのでしょうか?
自分の中の罪悪感とどう向き合って、対処していけばいいのでしょうか?
それを次回、書きたいと思います。
長い記事でしたが読んでいただいてありがとうございました。